暦も10月となると、グッと秋の気配を感じるもの。
10月というと、「今月は神無月だね~。」なんていう和風月名をよく聞く月かもしれません。
他の月の和風月名はあまり知らない人も「神無月」だけは知っているなんて人もいるかもしれませんね^^。
今回は、10月を神無月というのはなぜ?由来や意味についてご紹介します。
10月を神無月というのはなぜ?由来や意味をご紹介!
「神無月」とは、「かんなづき、かみなづき、かみなしづき」と呼ばれ、10月の和風月名です。
和風月名(わふうげつめい)とは、旧暦における日本ならではの12か月の呼び名のことです。
各和風月名の詳細は下記の記事をご参考に!
和風月名は、旧暦の季節感や行事がベースになっているため、現在の季節感とは1か月ほどズレがあります。
和風月名の起源は、720年(養老4年)に成立した「日本書紀」に最初に登場しているとされており、その読み方は昔からあまり変わっていないとされています。
現在でも、旧暦で行われてきた行事が数多く残っていたり、季節や月日の呼び名に旧暦の呼称が使われていたり、旧暦は、旧暦ならではの趣があって、日本の文化として、長く息づいています。
神無月の由来や意味
「神無月」は、全国の神々が島根県の出雲大社に集い、出雲以外の神社では神様が留守にすることから「神無月」という呼び名がついたとされています。
それに対して、神々が集う出雲地方では「神在月(かみありづき)」と呼ばれています。
なぜ10月に神様が出雲に集まるの?
神話の「国譲り」の際に、天照大神から大国主大神に神事(神々の世界)を統治せよという勅命が下されたことから、旧暦の10月10日に八百万の神さまが大国主大神の下に集うことになったといわれています。
※神話「国譲り」については、下記の神社本庁のHPをご参照ください。
https://www.jinjahoncho.or.jp/shinto/shinwa/story6
神さまたちは出雲で何をするの?
旧暦の10月10日夜、出雲大社から海へと西へ1kmほど向かった場所にある国譲り神話の舞台として知られる「稲佐の浜」で八百万の神を迎える神事が行われ、そこから迎えた神々が乗り移ったとされる「神籬(ひもろぎ)」(神様が降臨されるための依り代となるもの)に遷り、出雲大社へと向かいます。
出雲大社では、神楽殿で神在祭が執り行われ、その後それぞれの神さまは境内にある十九社と呼ばれる神様の宿泊施設へと遷されます。
出雲で神さまたちは、さまざまな取り決めを話し合ったりする神議り(かみはかり)というものが行われるのです。
神議りは、わかりやすくいうと神さまたちのサミットみたいなもので、わが国や私たちの繁栄や安寧、縁結びや五穀豊穣など、私たちにとっては非常にありがたいことばかりを相談したり取り決めてくれているそうです。
まとめ
出雲以外の地域の人にとっては、神さまがたちが不在となる神無月は何とも心許ない気持ちになってしまいそうですが、出雲では、神さまたちが私たちのためになるたくさんのことを取り決めてくれていると知ると、何ともありがたい気持ちになるものですね。
神さまたちが帰って来られたら、「おかえりなさい。いつもありがとうございます。」と感謝の気持ちを伝えると神様も喜ぶかもしれませんね^^。