感謝の気持ちを表す言葉として「ありがとう」は、日常の中で最もよく使う言葉かもしれませんね。
先日、お礼状をいただく機会があり、そのお礼状に「有り難うございます」と漢字で表記されていました。
あらたまった書面などで漢字で書かれた「有り難う」を見る機会が多い気がするんですが、「ありがとう」と平仮名表記のものと「有り難う」の漢字表記のものとでは何か違いがあるんでしょうか?
知っているようで知らないことって多いものです。
今回は、なぜ「ありがとう」を「有難う」と書くの?理由や意味&違いについてご紹介します。
なぜ「ありがとう」を「有難う」と書くの?理由や意味は?
普段よく使う「ありがとう」。
この言葉はどのようにしてでき上がったか知っていますか?
「ありがとう」の語源
「ありがとう」を漢字で書くと「有り難う」と書きます。
これは、「有り難し」が変形したもので、「ありがとう」の語源は、「有り難し(有り難い)」という言葉です。
「有り難し」という言葉は、「本来起こることがないできごと、あり得ないこと、非常にまれなこと」という意味です。
実は「ありがとう」は、仏教に由来する言葉で、もとになったお話を下記にご紹介します。
お釈迦さまがあるとき、阿難(あなん)というお弟子にお尋ねになりました。
「そなたは、人間に生まれたことをどのように思っているか?」
「はい。大変よろこんでおります。」と阿難は答えました。
するとお釈迦さまが、「では、どれくらい喜んでいるか?」と重ねて尋ねると、阿難は「どれくらいといわれましても・・・」と、答えに窮してしまいました。
するとお釈迦さまは、一つの例え話をされました。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その亀は、100年に1度、海面に顔を出す。
広い海には1本の丸太棒が浮いている。
その丸太棒の真ん中には、小さな穴がある。
丸太棒は、風のまにまに、波のまにまに、西へ東へ、南へ北へと、漂っている。
阿難よ、100年に1度浮かび上がるその目の見えない亀が、浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴に、ひょいっと頭を入れることが有ると思うか?」
聞かれた阿難は驚いて答えました。
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません。」
「絶対にない、と言い切れるか?」
お釈迦さまが念を押されると、
「何億年、何兆年の間には、ひょっとしたら頭を入れることがあるかもしれませんが、「ない」と言ってもいいくらい難しいことです。」
と阿難が答えると、お釈迦さまは、
「ところが、阿難よ、私たちが人間に生まれることは、 その亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。 有難いことなんだよ。」
と教えられたのです。
上記のお話は、人間に生まれるということは、この亀が丸太の穴に首を入れることがあるよりも、有ることが難しい「有り難い」ことなんですよといわれています。
いわゆる「奇跡」みたいなことが起こった際に、人々は神様や仏様の前で手を合わせて「有り難い」や「有り難し」と言っていました。
最初のころは、神様や仏様に対しての言葉だったのが、室町時代から「人」に対しても使われるようになり、それが次第に変形していって「有り難う(ありがとう)」となっていったのです。
「ありがとう」の語源を知ると、「ありがとう」という言葉だけでなく、本当はその奥に、「ありがとう。感謝いたします。」といった「感謝」の気持ちがあるように感じますね。
普段の生活のなかでも、相手が何かしてくれることは決して当たり前のことではなく、ひとつの「奇跡」のようなもので、そのことに感謝の気持ちを忘れずに「ありがとう。」の喜びの言葉とともに大切に使いたい言葉かもしれません。
「有り難う」と「有難う」の違いは?どっちが正しいの?
「ありがとう」を漢字で書くと「有り難う」と書きますが、「有難う」と書くこともあります。
これは送り仮名のつけ方の違いだけで、「有難う」と書いても間違いではありません。
「ありがとう」と「有り難う」どっちを使ったほうがいいの?
文書によっては「ありがとうございます。」を、「有り難うございます。」といった具合に漢字で表記されているものを目にすることがあります。
表記の使い分けは、その文書全体の印象を左右する重要な要素でもあります。
ひらがなはやわらかく、漢字は堅い感じの印象を受けやすいものです。
内容や相手に与えたい印象に応じて使い分けるものでもあるので、「ありがとう」と「有り難う」どちらを使っても問題はありません。
まとめ
「ありがとう」
何気なく使うことが多い言葉ですが、奥深い意味があったんですね。
ものごとの多くはいろんなコトやものが絡み合い、まさに「奇跡」のような日常でできているのかもしれません。
目の前のできごとは、決して当たり前ではなく、感謝の気持ちを忘れずに日々「ありがとう」を大切に過ごしたいものですね。