4年に1度のスポーツの祭典「オリンピック」。
2020年は、東京で開催ということもあり、日本でも盛り上げっていますね。
テレビなどを見ていると、オリンピックのことを「五輪」といったりもしますが、どうしてでしょう?
今回は、オリンピックの豆知識として、オリンピックをなぜ五輪というの?五輪マークの由来や意味&なぜ4年に1度なの?についてもご紹介します。
オリンピックをなぜ五輪というの?
オリンピックを「五輪」と表現するのは、日本だけなのでしょうか?
漢字を使うということで中国などが由来するのかな?と思ってしまいますが、実は中国はまったく関係ありません。
ちなみに中国では、オリンピックに似た発音のものをあてて「奥林匹克運動会」と表記するのが正式なものとなっており、「奥運」といった略称もあります。
同じ漢字圏でも日本と中国では表記が異なるんですね。
では日本で「五輪」という漢字をあてるようになったのはなぜなんでしょう?
「五輪」の言葉を生み出したのは新聞記者
「五輪」という言葉を生み出したのはスポーツ評論家の川本信正という人です。
彼は、読売新聞の記者時代に「『オリンピック』は6文字も使うため見出しなどには長すぎる」という理由から、どうにか略せないか?と考えました。
そんななか、「国際運動」「国際運競」などと考えるなか、五つの輪のマークがオリンピックのシンボルマークだから「五輪大会」はどうかと思いついたとされています。
また、宮本武蔵の「五輪の書」をかけて「五輪」という言葉を作り出したのです。
この「五輪」という言葉がつくられたのが1936年ごろといわれているので、第11回大会のオリンピックではすでにこの「五輪」という言葉が使われていたとされています。
上記のように、「五輪」は、限られた少ない文字数のなかで、簡潔に記事の内容を表す必要がある新聞の見出しから生まれた言葉といえるのかもしれませんね。
そして、現在では当たり前のように「五輪=オリンピック」と、日本人の多くが認識できるほどに浸透しているんですね。
五輪マークの由来や意味は?
「五輪」という言葉を生み出すひとつのきっかけともなったオリンピックのシンボルマークといえば、五つの輪のマーク。
このマークは、単色または五色(左から青・黄・黒・緑・赤)の輪を重ねて連結した形のもので、古代ギリシャの遺跡に描かれていたデザインをモチーフに、オリンピックの創始者であるフランスの教育者ピエール・ド・クーベルダン男爵が考案したものです。
ピエール・ド・クーベルダン男爵は、国際オリンピック委員会事務局長や国際オリンピック委員会会長第2代などを務め、近代オリンピックの父とも呼ばれる人です。
このオリンピックの五色の輪のデザインには下記のような意味が込められているんです。
地球上の五大陸を意味する
5つの輪は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの世界五大陸その相互の結合、連帯を意味しています。
ただ、どの色がどの大陸を表しているか?ということは決まっていません。
ポイント
このシンボルが描かれたオリンピック旗が初めてオリンピック大会で掲揚されたのは、1920年のベルギー・アントワープ大会(第7回)でした。
クーベルダン男爵が最初にオリンピック・シンボルを発表したのは1914年のパリで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)創立20周年の記念式典です。
彼自身の手書きによるオリジナルデザインには、「W」のかたちに配された5つの輪だけではなく、「平和」を意味するオリーブの絵柄とともに、ラテン語の「CITIUS(より速く)」「ALTIUS(より高く)」「FORTIUS(より強く)」の3語がオリンピックのモットーとして記されていました。
また、クーベルダン男爵は、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことをオリンピックの目的に掲げました。
そのため、オリンピックは平和の象徴ともいわれたりもします。
オリンピックはなぜ4年に1度なの?
オリンピックが開催されるのは4年に1度。
そのため、オリンピックはほかのスポーツ大会よりも特別感がありますよね。
オリンピックはどうして4年に1度の開催なのか?の理由は諸説あるとされていますが、最も有力なのが下記のものです。
古代ギリシア人が太陰歴と太陽暦の両方を使っていたから
現代では、一般的に使われているのが太陽暦ですが、古代ギリシア人は太陽暦と太陰歴の両方を使っていました。
太陽暦の8年が、太陰暦の8年と3カ月にほぼ等しいことから、8年という周期は古代ギリシア人にとって重要な意味をもっていたのです。
そこで、8年に1度祭典が開かれるようになり、その後、半分の4年周期となったのです。
まとめ
4年に1度のスポーツの祭典「オリンピック」。
オリンピックマークなどに込められたように、5つの輪が揃うには、世界中の人たちが参加しないと成立しません。
混沌とした世界のなかで、ひとつの希望や感動を与える心に残る祭典として、そして「平和」のありがたさを考えるものとして末永く続いて欲しいものですね。