日の暮れがだんだん早くなって、暑さも少しずつ和らぎ、朝夕に涼しい風が吹き始め、蝉の鳴き声が鈴虫の鳴き声に変わりはじめると秋の気配を感じます。
秋といえば、「読書の秋」や「食欲の秋」、「芸術の秋」など、「○○の秋」といった言葉をよく耳にします。
この読書の秋や食欲の秋など○○の秋とは、なぜいわれるようになったのでしょう?
今回は、読書の秋や食欲の秋など○○の秋の由来についてご紹介します。
読書の秋や食欲の秋など○○の秋の由来とは?
秋の気配を感じる9月。
9月は、日が暮れるのもだんだん早くなり、秋が深まる頃です。
9月は和風月名で「長月(ながつき)」とされ、夜が次第に長くなる「夜長月」、秋雨が多く降る頃であることから「長雨月」といった呼び名もあります。
また、この時期は稲の収穫時期でもあることから、「稲刈月」などともいわれ、「菊月」、「紅葉月」などの異名もあります。
昔は、稲作などが生活の中心だった日本は、春夏秋冬の移り変わりと日々の暮らしが深く関わっていました。
これにより、和風月名にも季節感を感じる名前がつけられていました。
この季節の変化を愛でる感覚が○○の秋の由来となっているのでしょうか?
読書の秋の由来とは?
中国の唐の時代を代表する文人「韓愈(かんゆ)」が残した詩のなかの一節に、下記のようなものがあります。
新涼入郊墟
燈火稍可親
簡編可卷舒
【時秋にして積雨(せきう)霽(は)れ】
【新涼(しんりょう)郊墟(こうきょ)に入(い)る】
【燈火(とうか)稍(ようや)く親しむ可(べ)く】
【簡編(かんぺん)卷舒(けんじょ)す可(べ)し】
上記を訳すと、下記のようなものになります。
涼しくなり始め、郊外の村に行き
燈火のもとで
書物を広げるがよい
これは、韓愈(かんゆ)が、息子に学問の大切さを説き、今まさに勉学や読書に最適な、燈火(灯火)親しむ秋であり、勉学や読書をしなさい。ということを込めて作られた長い詩の中の一節です。
このなかの、「燈火可親(とうかかしん)」は四字熟語にもなっており、訓読みすると、「燈火(とうか)親しむべし」となり、秋は涼しく夜長なので、燈火(灯火)の下で書物を読むのに適しているといった意味の四字熟語・ことわざになります。
この詩は、夏目漱石の三四郎のなかでも、『燈火親しむべし抔(など)といふ漢語さへ借用して嬉しがる様になった』(韓愈‐符読書城南詩)出てくるなど、日本人にとっても親しみのあるものだったのかもしれません。
そして、この「燈火(とうか)親しむべし」という詩の一節が「読書の秋」の由来となったとされています。
涼しく過ごしやすく、集中力が続きやすい秋の夜長を有意義に過ごすことから生まれたものなのかもしれませんね。
食欲の秋の由来とは?
「○○の秋」のなかでもよくいわれるもののひとつが、「食欲の秋」。
ほかにも、「実りの秋」や「味覚の秋」などの言葉もあるように、秋は実り・収穫の季節でもあります。
現在では農業技術なども発達し、1年を通じて店頭に並ぶ食材が増えましたが、秋は、お米をはじめ、野菜や果物、そして魚介なども旬を迎えるものがたくさんあり、秋が一番食べ物が豊富でした。
また、秋は過ごしやすい気候でもあることから、夏の暑さで落ちた体力も回復しはじめ、暑さで弱った身体や消化器官などが自然と正常な働きを取り戻すことによって食欲が戻ってきはじめ、夏に消耗しきった身体を整えるべく栄養を欲し、食欲が増すといわれています。
食欲の秋の由来については、さまざまな諸説がありますが、こういった、豊かな季節の恵みに感謝し、次に来る厳しい冬の季節を万全の身体で乗り切れるよう、今は秋の実りを存分に味わおう!といったことから、「食欲の秋」と、呼ばれるようになりました。
スポーツの秋の由来とは?
1964年(昭和39年)の東京オリンピックがきっかけになっているといわれています。
現在では、オリンピックといえば「夏」というイメージが強いですが、当時の東京オリンピックでは、晴天になる確率が高い日だった秋の季節、「10月10日」に開会式を設定したのです。
そして、1966年からは東京オリンピック開催にちなんで、「体育の日」が国民の祝日として制定されました。
「体育の日」は、「国民がスポーツに親しみ、健康な心身を培う日」として定められ、日本にとって歴史的な大イベントであるオリンピックの歴史とともに、過ごしやすい秋の気候に「スポーツの秋」がうたわれていったのです。
まとめ
秋は、暑い夏を乗り越え、比較的過ごしやすい季節になることで、スポーツや運動、読書や芸術など、「○○の秋」として、四季を楽しむ言葉が生まれたのかもしれませんね。
日本に生まれ、日本で過ごしていると、四季があることが当たり前のことのように感じますが、世界的に見ると日本ほどはっきりした四季があるのはとても珍しいものです。
季節の変化を愛でながら過ごす感性は、日本人の感覚かもしれません。
「○○の秋」も、人の四季を感じる感性から生まれた秋を愛でる言葉なのかもしれませんね。